4. ベンチャー時代

10名ほどでのスタートです。
九州は多くの工場があり、工場の管理システムを行うベンチャー企業です。半導体や車などの工場へ制御装置やデータ収集装置を開発し納入していました。今でいうIotです。そこでプログラミングを習得しました。と言って制御系ですから、アセンブラ言語というやつです。メモリの制限内でロジックを書くのは結構大変で、徹夜も普通でした。納期近くは土日に出社することは当たり前で、月に200時間超の残業もあるなど、今では考えられない時代でした。ただ、今の自分があるのは、この時の踏ん張りがあったからだと、今でも思っています。

時代背景もあり、会社はどんどん大きくなっていき、自社ブランド品の開発を行っていました。
そしてそれらの拡販のために、東京へ進出しよう!という事で、そのメンバーへ選ばれました。
右も左も判らない若者が勢いで東京に出てきた感じです。
2人から営業活動始めましたが、需要は旺盛です。営業といっても物販ではないので、営業技術で、今でいうソリューション提案が必要なシステムものです。引き合いの多くは上場の製造業です。主要な自動車会社のT社やN社およびティア1や2の関連部品メーカなどベンチャーながら多くの上場企業へシステムを導入しました。
工場数でいえば、個人では200社くらいにシステムを入れました。
大手電機メーカの半導体工場へも展開でき、その頃は従業員は100名を超えていました。

パソコン周辺機器も開発し、秋葉原の量販店へ卸すようになりました。ただ、多角化経営はそう長くは続きません。多額の先行投資が必要なビジネスモデルは、資金繰が苦しくなり、債務超過となります。

5. 大手SIer時代

当時提案コンペで競合し、勝った実績や製造業の知見を買われ、大手SI企業へ転職しました。最初はソリューションマーケティングという、基幹システム販売の推進部隊に配属になりました。これまでの現場寄りのシステムから、こんどは業務や情報システム部門、管理部門向が対象です。現場の賛同から今度は経営者の賛同を得る事が必要ですし、社内外の多くのステークホルダーが関わるため、これまでの仕事の進め方と違う調整が必要です。その後ERP事業部へ変わり、全国の営業へ教育や新規引き合いに対する提案支援を行いました。この時期は製造業に限らず、販売業や流通業へも展開を図りました。
自社製のERPに加え、海外製のERPも扱う事になり、その資格取得が必要になりました。日本の特長的な業務の流れや、考え方とは違うグルーバル仕様を、ここで学びました。
こうして、20システム程の基幹システム導入を経験しました。
システムの対象や範囲が広がる中、それらは経理など会計分野にも及びました。得意ではない分野で、経験も知識も乏しい分野です。そこで、中小企業診断士の資格取得を目指す事にしました。簿記の資格よりその範囲は広く、業務への活用が図れると思ったからです。ただ、ここからが大変でした。試験範囲が広く、土日をほぼ潰しながら、1年間勉強しましたが、1次試験は1,000点満点で7点足らず不合格でした。科目合格制度もなく、自分の力量はさておき、なんと理不尽な試験だと恨みました。

その後1年間は何もせず、諦めていた試験でしたが、再度勉強を始め、その後1次試験は合格するも、2次試験は不合格になるなど繰り返し、都合4回目の試験でやっと資格を得る事ができました。こんなに勉強したことはなかったと思います。資格だけでは食っていくことはできませんが、この資格で得た知識や人脈は、私の人生で多くの影響を与え続けています。

6. 起業


診断士の資格は、会社の業務へ広く、深く活用できました。仕事以外も診断士活動を広く行いました。
そのような中、コロナ渦を経験し、働き方が大きく変わったきました。
ここまでの生い立ちを自分なりに振り返り、見つめ直しました。
製造業の経験を活かし、大手以外中小企業にも目を向けて、診断士での知見や人脈を活かし、第三の人生を歩む時期が来たと判断しました。
小学生から中学生、周りの人に助けをうけながら、趣味の電気やものづくりに身体が馴染んでいきます。高校生から無線を通じ、大人たちと交わり、組織的な動きや段取りを学びました。大学では多少遊びもしましたが、没頭する時期もありました。社会人になる事や人生を真剣に考える事もなく、参画したベンチャー企業では、たくさんの事を学び、今の自分が出来上がりました。そして大手では組織での活動を学びました。今後、これらを社会へ還元するタイミングだと考え起業する事にしました。(了)